日本人だけが知らない!コミュニケーションで「1番大切なこと」とは?
このページに来ていただき、ありがとうございます。あなたは、コミュニケーションにおいて「1番大切なこと」とは、いったい何だと思いますか?
実は、世界中で日本人だけがそれを知りません。
だから日本人は、家族、会社、友人などまわりの人との人間関係をうまく築くことができません。
まわりの人間関係だけではありません。
外国人とのコミュニケーションにおいても「日本人はコミュニケーションが下手だ」とバカにされています。
海外で通用せず、外国人からナメられてしまうのは日本人がコミュニケーションにおいて「1番大切なこと」を知らないからなのです。
では、日本人だけが知らない、コミュニケーションにおいて「1番大切なこと」とはいったい何なのでしょうか?
J.F.ケネディ、エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンローなど。
世界100万人を調査して分かった「人間の本性」とは?
実は、人間には1つの「本性」があります。「本性」とは、生まれ持った性質のこと。
世界69億人、全員が共通して持っている「本性」があるのです。
これはJ.F.ケネディ、エルヴィス・プレスリー、マリリン・モンローなど、世界の著名な人物から悪党まで、100万人を調査して分かりました。
そして、まさにここに「日本人がコミュニケーション下手な理由」が隠されています。
日本人だけが、「人間の本性」を知らないのです。
全人類に共通する「生まれ持った性質」=「人間の本性」とはいったい何なのでしょうか?
人間は24時間、「1つのこと」しか考えていない!
全人類共通の「人間の本性」は、たった1行で表せます。それは、「自己中心主義」であること。
つまり、人間は「自分のこと」しか考えていない生き物なのです。
- ひたすら自分のことだけを考えている
- 自分の話を他人に聞いてもらいたい
- 自分の観点からのみ物事を判断する
全人類が持つ、たった1つの「本性」を知ると「相手が何を求めているのか」が明確に分かるようになります。「相手が何を求めているか」が分れば、あとは、「相手が求めるもの」を与えてあげればいい。たった、それだけのことで良好な人間関係が築けます。
つまり、コミュニケーションが格段に良くなるのです。
まわりの人間関係が劇的に良くなる!海外でも使える!
本書のコミュニケーション術を使えば、家族、会社、友人などまわりの人間関係は劇的に良くなるでしょう。
それだけでなく、「全人類共通の本性を活かしたコミュニケーション術」だから、もちろん、海外でも使えます。
特に欧米人は、「人間の本性」をかなり強く持ち合わせています。
中国、韓国、北朝鮮など、アジアの隣国にも似た傾向があります。
日本人が海外でコミュニケーションを図るためには「世界標準のコミュニケーション術」が欠かせません。
「全人類共通の本性」を生かした「世界標準のコミュニケーション術」を使えば、世界中、どんな人とも良い人間関係を築けるのです。
世界35カ国で活躍!知る人ぞ知る「伝説の人物」が作ったコミュニケーション術!
本書の著者・近藤藤太氏は、世界中で活躍した、知る人ぞ知る「人間関係のプロ」です。その経歴は、
- 海外で貿易会社を起こし成功!ニューヨークのど真ん中に支店を持つ!
- 世界35カ国で「国際トラブルシューター」として活躍
- 60億円もの借金を、セールス・テレビ出演などで9年で完済
- 岸信介元総理関係の海外調整役をこなす
その中で生み出されたのが、本書でご紹介する「世界標準のコミュニケーション術」です。
ちなみに「国際トラブルシューター」とは、企業や政治家がクレームやスキャンダルで脅かされた場合、その火消し役となって世界各国の相手と交渉する仕事のこと。
- 日立製作所を罠にかけたIBMスパイ事件の真相をあばく
- ニューヨークの超一流デパートと日本企業の契約を結ぶ
- 富裕なユダヤ系英国人からコゲついた代金を回収
近藤氏は、「人間の本性」を知ったうえで世界中の人々とコミュニケーションをとっていたのです。
だから、世界中の人たちから好かれました。
「全人類共通の本性」を知ってコミュニケーションをとれば、世界中の人たちから好かれ、どんな無理難題でも解決することができるのです。
10のルールを知るだけ!今すぐ、誰でも、簡単に実践できる!
本書は、近藤氏が最も大切だと考えた「コミュニケーションのキモ」を誰でも簡単に実践できるように「人間関係10のルール」としてまとめました。もう、人間関係に悩む必要はありません。
今すぐ、本書のノウハウで「人間関係に悩まない自分」を作ってください!
※本作品は2003年に刊行された『デカい態度で渡り合え!~世界中で通用する人間関係10のルール』(弊社刊)を改題、再編集いたしました。
著者について
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国際トラブルシューター。
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1916年、東京芝白金に生まれる。父親の転勤のため3歳から4年間ニューヨークで生活する。5歳で「建設的なケンカ」をし、幼少ながらも「欧米人に勝つ」という意味を悟る。
慶応義塾大学経済学部入学。戦後、マッカーサー総司令部国際貿易部勤務。付加価値の大きなニコン、ミノルタなどのカメラ、時計、精密機器の輸出業を行う傍ら英語を猛勉強する。1950年、貿易会社「KONDO&CO.」を設立。「英国海陸空軍協会」の日本購買代行に任命され、日本の代表的商品の買い付けを行うなど貿易の振興をはかる。1955年より32年間、故岸信介総理大臣の渉外担当側近を務める。持ち前の語学能力をいかして世界各国のお偉いさんを相手に総理の右腕として活躍する。
1970年、貿易会社をクローズ。世界35カ国をわたり歩いた経験をもとにコンサルタントとなる。故岸信介総理の指示で自民党の代議士(安倍晋太郎・中島源太郎・渡辺美智雄・森山欣司氏など)の国際コミュニケーション・トレーニングを担当する。その後、国際企業大手100社(BS・三井・JAL・博報堂・東京電力など)の管理職教育ならびにトラブルシューターを行う。ゴールドコーストブロードビーチ(第9640地区)ロータリークラブ会員。
1988年、豪州ゴールドコーストに移住し豪州市民権を獲得する。以来「大名」と呼ばれ、日豪親善に没頭。 米経済誌「Fortune」に"Going for the GOLD"のタイトルで日本人友人と共に数頁にわたり記載されゴールドコーストを世界に宣伝できたことで名誉市民を授与される。国際トラブルシューターとして活躍。
2004年11月、前立腺癌のため死去。享年88歳。