中にはどんなにその主張が相手を思ってのことだったとしても、説得や洗脳の「ワザ」を使うこと、それ自体が問題だという人もいる。このこともわからなくもない。
だが、オレの見るところ、彼らの心の中のさまざまな理由で、それがバリアとなって本当に自分がしたいものから目を背けている人も多くいるようだ。
オレが考える洗脳や影響力の行使とは、そんな相手の心理的なバリアをなくしてあげることだ。
誰かがあなたの提供するものを欲しがっているとする。あなたもそれがその人にピッタリのものだと分かっている。それなのに、相手はなぜかその決断ができない。
そんなときにこそ、オレがこれからあなたに話していくこの洗脳のワザが役に立つ。心理的なバリアを軽々と超えさせてあなたの望むように持っていく。洗脳の力はそれほど強い。
たとえば、誰かのことを本当に好きなのに何かがそう告白することを邪魔している。そんな恋の手伝いをこの力でできるとすれば、それが反道徳的なわけがない。
とどのつまり、相手が正しい選択をすることの手助けをすることができるか否か、そのことが道徳的か反道徳的かの分水嶺だとオレは考えている。
「正しい使い方をしてください」「悪いことには使わないでください」と言ったって、その人によって正しいこと、悪いことは異なっている。人それぞれだ。
もう一度言うと、ここでは相手に正しい選択をする機会を与えること、それこそが道徳的な洗脳だと定義しておく。